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くよくよしています。
live@hibiya

「人間とは、自分とは関係のない不幸な出来事に、くよくよすることですよ」
伊坂幸太氏の著作『砂漠』に登場する、僕の大好きなキャラクター西嶋くんの名ゼリフ。
もう、くよくよしっぱなしの毎日ですから。
迷いながらも結局参加した『NO NUKES MORE HEARTS Live & Demo』
なぜ参加をためらうのかと言えば、そこに集う人たちとの、何か温度差のようなモノを感じる事が多いから。
例えば、休日の東京電力本社前で「原発反対」のシュプレヒコール。
この建物の中にいるのは、住宅ローンとコドモの塾代とお盆の帰省費用のために休日出勤しているお父さん(想像だけど)なワケですよ。
相手が違うだろうと。
西新橋で日本原燃に訴えるのが筋だろうと。
ってか、下っ端に言ってもダメなんだ。
表には出てこないで、俺たちのコドモや孫や曾孫や、もっともっと未来の家族たちの健康や幸せやらを、銭に替えて懐にため込んでニヤついているオマンコ野郎に、「銭が欲しけりゃくれてやるから、今すぐに再処理を止めろ!」って言わなきゃダメなんだ。
「地層処分でノープロブレム」って言い放っている原環機構に、「詭弁はもう止めろ!」って言わなきゃいけないんだ。

…でもね、原燃やら原環にいくら訴えても、糠に釘なんだよね…。
だから、署名したりデモに参加してんのは、もう僕の祈りなのですよ。
他人の不幸の上に胡座をかいて生きるのは恥ずかしいことだと。

いろいろな生き方があってかまわない。
かまわないけれど、コドモたちの未来と引き替えに掠め取った銭で幸せになれるなんて思うなよ。



野音の小音楽堂で佐藤タイジが叫んだ「負ける気がしない」に大いに勇気づけられた。
あのバスドラはヤバい。

ソノラ砂漠のドレッドライダー


PVは『ソノラ砂漠のドレッドライダー』。
『The Divorced Rockstar』はただ今大塚家でヘヴィーローテーション、グルングルン。

俺だって、負ける気がしないね。
| 雑感+ | 00:46 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
はじめまして、ネット上の礼儀を知らず、もしかしたら一見者はコメントをしてもいいのかダメなのかも、わからないままですが、どうしてもこちらに来て黙って去る気持ちになれずコメントさせていただきます。
今年の夏、核兵器廃絶の署名活動に参加させていただきました。
私は腹黒レッサーパンダなので、署名を集めるためにうちの子2人とともに街頭に立ちました。
可愛らしく核兵器廃絶を訴える声に誘われたのか、スーパーに買い物に来たお客様たちは皆おずおずと足をとめ、うちの子たちの持つボードに次々と署名していただけました。
結果、うちの子2人が活動メンバーの中で一番署名を集めてくれました。
子供たちがいつか親になったとき、私と署名活動をした時のことを思い出して、今この世に核兵器がなくなったのは、もしかしたらあのとき街頭に立って沢山集めた署名を、この国の偉い誰かが見てくれたからかもしれないね?と笑いあってくれたらな…と夢見ています。


「すべての人に対して忍耐強く接しなさい。だれも、悪をもって悪に報いることのないように」(テサロニケの信徒への手紙)

長々と失礼いたしました。それではまたです。
| かなっぺ | 2010/08/26 11:44 AM |
かなっぺさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。

チェルノブイリの事故から25年が経ちます。
伊方原発の出力調整実験の時にも六ヶ所村もプルサーマル計画も、僕らがどれだけ反対の署名を集めても、国や電力会社は何一つ聞く耳を持ちませんでした。
詭弁に満ちた答弁と補償金で武装して、地域を分断して被爆者を生み続けます。
それは八ッ場ダムや諫早湾干拓事業も同じだで、権力者というのはいつでも未来よりも今目の前のお金を手に入れることに心血を注ぐものなのかもしれません。
日本経団連は先月、武器輸出三原則の緩和を政府に提言しています。
そして24時間タバコや雑誌やストッキングや冷えたビールが気軽に買える環境を享受している僕らもまた同罪なのでしょう。

「核兵器も核の平和利用も、どちらも儲からないからやーめた」と言って、世界中の政治家やメーカーがウランと中性子の危険なおもちゃを手放してくれることを望んでいます。

よかったらまた色々とかなっぺさんの考えを書き込んでみてください。
| 大塚屋 | 2010/08/26 12:31 PM |
こんにちは、私のたわいもないコメントに返答していただき、嬉しさで胸がいっぱいです。

チェルノブイリの事故処理のため無人で動く機械を使い、遠隔操作で作業を続ける映像を子供の時に観ました。放射能の残留濃度の激しさにその機械までもが停止や故障をするのを知り、初めてその事故がいかに恐ろしいものだったかに気づきました。

夜明けの観覧車の写真を拝見しました。チェルノブイリに建つあの観覧車を思いだし、何ともいえない切なさがこみ上げました。

目の前にある出来事に何とかしなければいけないと気づく人と、目の前にある出来事に最後の最後まで気づかずにいられた人と、一体どちらが幸福なのでしょうか?それともこれは幸福とか不幸とかいう問題ではないのでしょうか?

気づけたことは必然だったのでしょうか?
気づかずにいれば、くよくよせずにすんで、それで良かったのでしょうか?

「どちて坊や」のかなっぺです。

 〜答えのでないその先を求めて

それではまたです。
| かなっぺ | 2010/08/28 11:51 AM |









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