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32年前の9月
9月は倅の誕生月で、7年前のその日の事は今でも鮮明に覚えている。
今年の誕生日はカミさんがケーキを焼いて、自宅でこぢんまりと。
週末には実家で祖父母と一緒に、少しだけ豪華なパーティーを。
メインは倅のリクエストで“みたらし団子”(笑。

そして9月は僕の祖父の祥月命日があって、今年は33回忌。
32年前、東麻布の社宅から祖父の暮らす業平へ戻った事を単純に喜んでいた僕だったが、病の身体は回復する事はなく、旅立つ前の祖父と一緒に過ごせた時間はわずかだった。
生まれてから幼稚園にあがるまでの数年間の僕は、いつでも祖父と共にあり、長火鉢の向こうの着物姿は僕の原点だ。
「男らしくしなさい」
大切な事はほとんどみんな祖父に教わった。

家族をクルマに乗せて、菩提寺の木根川薬師へ向かう。
曳舟の駅前を抜けて、四ツ木橋の手前を八広へ曲がって、木根川橋を渡る。
そういえばさだまさしの歌に、このあたりの風景が出てきたな。
祖母に連れられて植木市に来て、甘茶を飲んだ事を思い出す。
荒川の土手でバッタを捕まえるとき、祖父母がずっとそばにいてくれた。
昔は押上から京成電車に乗って、四ツ木の駅から延々と土手沿いの道を歩いたもんだ。
エアコンを付けたクルマでお薬師様に乗り付ける不遜な自分を、少しだけ恥じる。

「おまえも所帯を持ったから」と、先祖代々の墓にはじめて自分の名前で塔婆を供える。
「銭の事は心配するな」と親父。
その数千円が出せないわけではないのに、親父の目には僕がかなり貧しく見えるようだ。
実際のところ実入りが少ないのは事実なので、使い道のない銭を使わせてやるのも親孝行だと思う事にする。
じいちゃん、面目ない。

コドモの頃は墓参りの時には玉子家と決まっていて、普段は飲めないバャリースを飲ませてもらえるのが嬉しかった。
祖父の33回忌なので、玉子家に行けると思っていたのだが、残念ながら浅草の川松だった。
そういえば祖母の法要の時にも、玉子家ではなくて川松だった。
親父に言わせると「玉子家は旨くない」そうだが、果たしてそうだったか。
確かに川松の鰻は旨いし、別館の個室はこの手の集まりにはちょうど良いのだけれど、僕は玉子家の佇まいこそ、祖父の法要には合っていると思う。

川松を出て三々五々。
親父の通った伝法院幼稚園を通り過ぎて、助六をのぞいて、浅草寺にお参りする。
五重塔の脇から怪しい商店街を抜けてROXへ。
リブロで倅の誕生日プレゼントを買って、東武で業平に戻る。

32年前、今の僕と同い年で、親父は父親を亡くした。
親戚の事、家の事、その他諸々。
何一つ片付いていない今、親父に逝かれちゃ堪らない。
せいぜい心配かけて長生きさせないと、と言うのは冗談にしても、こんがらがった糸は、ほどけるところからほどいていかないといけない。
きっと祖父は、その役目を僕にさせたがっている。
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